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 わたしは幽久図書室・本館栞。 えっ、図書委員とかの間違いじゃないかって?
 いえいえ、確かに便宜上『図書委員』と名乗る事もありますが、正式には図書室に間違いありません。
 だって、わたし、付喪神(つくもがみ)ですから。

 さて、今日はどんな本を読みに来たんですか? えっ? まだ決めていない?
 そうですか、ならこの子なんかお薦めですよ。




幽久図書室

『不思議の国の……』


作:天爛



 目をあけると一面の青空。
 横を見ると見覚えのない花々と図鑑でも見た事のない蝶が数匹。
 反対側には ――

 俺。

 ……。うん。夢だ。夢に違いない。夢以外には考えられない。

 いや、だって、ありえないだろ。気がつけばウサギを追っ駆けていて、捕まえたと思ったらいきなり現われた階段から落っこちて、目覚めると隣には気絶中の俺。
 うん、絶対ありえない。と言う事でこれは夢。誰がなんと言おうが夢に決定。
 だから、こうやって目を閉じて待っていればそのうち目覚まし時計のベルがなるはずだ。

  ―― ジ、ジリリリリリリ・・・・・・

 ほら、な。まあ、このベルは二度寝対策に2つ仕掛けてるうちの1回目だし、もうひと眠りすっか。音は1回目と2回目で変えているから聞き間違えって事もありえないだろうし。うん。
 取り敢えず、うっさい事この上ないので目覚ましを止めよう。そう思い手を伸ばした。が、

  ―― リリリリr

 その手が届く前に目覚まし時計の置いてある筈の場所とは逆の方向で何かが動き、次の瞬間に目覚ましの音が止む。そして何かが、ゆっくりと動き出したかと思うと、急に慌てた声を上げ飛び起きた。

「ふぁ〜。良く寝た。今何……っ!?!? ちょっ! もうこんな時間?! 遅刻っ! 遅刻よっ!! 遅刻なのっ!!! 遅刻なのよっ!!!! 遅刻なのですっ!!!!! 遅刻なのですよっ!!!!!! 遅刻なのでしてよっ!!!!!!」

 なんか俺に良く似た声でその何かが騒ぐ。
 正直、うっさい。

 ――ドタバタドタバタ

 俺は懐が太いから少々の事なら我慢するが、幸せな朝の二度寝の一時を邪魔されたとあっちゃあキレざるを得ない。
 と、言うわけで

「うっさいぞ、てめぇ!! 静かにしやがれっ!! って、いねぇし。」

 そう、その時には既に『何か』はいなかった。
 遠くに同年代っぽい少年が大慌てで逃げて(?)いくのが見えるが、そうかあいつが『何か』の正体か。
 ん? つまり俺は男と一緒に寝てたと言う事か? うげ、そりゃないぜ。どうせなら可愛い女の子と……ってそんなこと叶う筈ないか。

 ……さてと、あの走り去った馬鹿の所為ですっかり目が覚めてしまった。
 二度目の目覚ましがなる前だから学校へ行くには時間があるし ―― って、ちょっと待て。ここはどこだ?!

 見渡す限り青空と花畑。
 ……あはは、一瞬起きたと思ったかまだ俺は夢の中らしい。

「ノンノンノン。夢じゃないのである。そして現(うつつ)でもないのである。されど、これは我輩達にとって、まごう事なき現実なのである。」

 いつの間にか現われた木の枝の上にいるスニーカーを履き迷彩色のベストを纏った青い猫がニヤ〜という笑みを浮かべて言った。
 ……突っ込みどころがいっぱいある気がするが、まあ取り敢えず

「おまえは何者だ?」
「我輩は猫である。」

 いや、それは一目瞭然だから。

「名前は? まだないとか言わないよな?」
「我輩は猫である。名前はチェシャ猫である。」
「で、その猫がどう言う了見で夢じゃないと言い張る。」
「ノンノンノン。我輩は猫である。名前はチェシャ猫である。猫のような下等生物と同じ扱いはして欲しくないのである。」

 自分で猫だと言っているじゃねぇか。

「じゃあ、なんと呼べばいい。」
「我輩は猫である。名前はチェシャ猫である。猫のような下等生物と同じ扱いはして欲しくないのである。望む呼び名はチェシャ、もしくはボークド・ラエモント・ジュゲムジュゲムゴゴウノスリギレ……」
「あぁ〜、後者で呼ぶ場合は省略不可と言うオチが見えたから、そこら辺でいいぞ。」
「ちっ」

 『ちっ』って、おい。

「で、チェシャ。いきなり花畑にいて、あまつさえ猫と喋っている現状をなぜ夢じゃないと言い切る?」
「ノンノンノン。我輩は猫である。名前はチェシャ猫である。猫のような下等生物と同じ扱いはして欲しくないのである。望む呼び名はチェシャ、もしくはド・ラエモンノ・ビータノ・スイヘイリーベボクノフネハナマガルチップスクラークカッカハドリアンアックセェブラックアウ……」
「いや、それはもういいから。と言うか、後半変わってる以前に微妙に間違ってる気がするし。」
「ちっ」

 こ、こいつ。また舌打ちしやがった。

「で、どういう言い分だ? これが夢でないと言うのは。」
「我輩は猫である。名前はチェシャ猫である。夢は寝ている間に見る物である。されど、我輩達は共に起きている。故に夢ではないのである」
「なるほど。って、そんな事で納得できるかっ。夢見ている間は普通いま寝てるとは思わないだろ。」
「我輩は猫である。名前は……」

 そこまで言ってチェシャは急に口をつぐんだ。
 なんだ? 急に止めて

「飽きたのである。」

 おい。

「なら、夢じゃないかと疑っている事がその証拠なのである。夢ならばこれが夢だと思わないのである。」
「な、なるほど。そう言われればそうだな。目からうどん粉だぜ。」
「うどん粉ではなく鱗である。」
「ジョ、ジョークだよ。ジョーク。」

 や、やべ〜。素で間違えてた。
 目から鱗。目から鱗。メカな鱗。よし完璧。もう覚えたぜ。

「時に少女。いつまで現実から目を背けるつもりだ。」
「しょ、少女とな。それは一体どこの誰の事でござんしょう。」

 視線は遠く空の果て。

「台詞がしどろもどろなのである。」
「う〜、あ〜、やっぱり夢だという事にしたいんだが。」
「却下である。」
「そうか、却下か〜。それは残念だ。」

 しょうがない。

 とうとう諦めた俺は半分確信めいた物を抱きながら手を胸にやった。
 ……。やっぱりあるよなぁ。

 更に下へとを手を伸ばして見る。
 ……。やっぱりないよなぁ。

 あはははは、いや、気付いてたさ。 叫んだ時になんか可愛い声が出てたし、妙に伸びた髪が頬に当たってたし、視線も低くなってる気がしたし、それに太ももがなんかスースーするし。 ん? スースー? ・・・・・・・・。

「お、おい、猫っ、じゃなくて、チェシャっ。いま俺はどんな格好を、いやそれよりもここら辺に姿を映せる物ないか? 鏡でも川の水でもなんでもいい。」
「それならば、右に65歩、後ろに120歩行ったところに鏡水の泉があるのである。」
「サンキュ!!」

 それを聞いた俺がその鏡水の泉まで駆けて行ったのは言うまでもない。

「ちなみにその水は猛毒であるからして、飲まぬが仏、否、飲んたら仏なのである。」

 もちろん俺にその言葉を聞き止める余裕はなかった。

 俺が泉についた時には、チェシャは既にほとりにある木の枝の上にいやがった。
 はやっ。つか、さっきと同じ木に見えるのだが、木ごと移動したとか言わんよな。
 俺はその木をまじまじと見てみた。さっきの木を細部まで見てた訳じゃないけどからはっきりとは言えないが見れば見るほど似ている。

「少女よ。この木に興味津々であるのはいいが、主は少女の姿を確認しに来たのではあるまいか?」

 おっと、そうだった。チェシャに言われて本来の目的を思い出した俺は、鏡水の泉の銀色の水に映る自分の姿を確かめる。

「……」

 絶句。衝撃すぎてお約束も出てこねぇ。
 ウ、ウソだよな。もし本当なら俺の尻にはアレがあるはずだし。
 おそるおそる手を尻の方、尾てい骨辺りに持って行くと……あるし、しかも触られた感覚まで。
 えっと、皆さん。ご唱和ください。さん、にい、いち。

「な、なんじゃこりゃあ〜!?」

 ……あっ、すまん。ちょっとパニクった。聞いてるだけじゃ何の事か判らないよな。よし、説明しよう。

 鏡水の泉に映った俺の姿。それは……。
 いやいや、ちょっと待て。すまんがもう一度確かめさせてくれ。

 (数度、水面を見直し……)

 うん。残念ながら見間違えではないらしい。
 よし説明する。説明するぞ。
 いま俺は、俺の姿は、な、ななんと、バニーガール。バニーガールになっていた。
 それもただのバニーガールじゃない。
 ハイレグ・網タイツ・ハイヒールと言う定番ではなく、スク水に素足という真冬なら凍え死ぬ事請け合いな格好なのだ。まあ、普通のバニーガールが真冬に凍えないのかと訊かれると返答に困るが。
 そんなことより、胸元の名札にはきちんと『うっくん。』と名前入り。これがパニクらずにいられ、って、うっくん? うっくんって誰だ?

「うっくん。は時計ウサギのうっくん。なのである。」

 疑問に思った途端、俺の疑問にチェシャの奴が答えてくれた。思わず声に出してしまっていたらしい。

「時計ウサギ?」
「少女がこの世界に来る際、彼を追いかけてきたのであろう?」
「いや確かに、元の姿で時計を持ったウサギを追いかけてた記憶はあるが。……彼? 彼女じゃなく?」
「うっくん。は彼女であるが彼なのである。」
「なんじゃそりゃ。」
「ここは不思議の国である。そんな些細な不思議を気にしていたら負けである。」
「な、なるほど。」

 つまり、なぜスク水かとか、追っ駆けてる時は確かに(外見は)普通のウサギだったぞとかいうのも気にしたら負けなんだな。うん。

「しかし、なぜ俺はそのうっくんになってるんだ?」
「おそらくこの世界に繋がる階段で脚を滑らせて、うっくん。を巻き込んでド派手に階段落ちしたために入れ替わってしまったのである。」
「な、なるほど。」

 いや、正直納得できた訳ではないが原理とか訊いてもわかるとは思えないのでとりあえず納得した素振りを見せて話を次に進める。

「で、そのうっくんとやらは?」
「慌ててお仕事に行ったのである。」

 あぁ、つうことはやっぱり横で寝てたあいつか。
 走り去っていく時、あいつ見た事ある髪型と制服だなぁ。て思ったんだよ。やっぱり、俺だったんだな。

「でもこの国は侵入者には厳しいから、もう捕まっているかもなのである。」
「ちょ、それってかなりやばいんじゃ。」
「もちろん、やばいのである。下手したら死刑である。」
「それ、やばい所じゃねえ。とっとと捕まえるぞ。」
「了解である。」
「……えっ、手伝ってくれるのか?」

 予想外の返事に一瞬固まったが、何とか声を絞り出し確認する。

「当然である。」

 チェシャ、おまえ意外といいや ――

「こんな面白い事を見過ごせるはずないのである。」

 前言撤回。



 俺の姿をしたウサギが行った方へ行くと、めちゃくちゃ大きなドアがあった。

「これ、どう開けるんだ? よほど大きくないと開けれないぞ?」

 どうした物かと辺りを見渡すと、壁際に巨大化薬という張り紙と何か置いてあったらしきテーブルがあった。いや、あるのだが、肝心要の薬が見当たらない。

「薬ってドコよ……。」
「残念。うっくん。が使った後である。」

 いつの間に見つけたのか、またしても木の上にいるチェシャが空き瓶を手と言うか前足で器用に持ってぶらぶらさぜ、ニヤリと笑った。
 この際その肉球でどうやってつまんでいるのかとか、その木さっきのと同じ木じゃないかとかいう疑問はどうでもいい。それよりもだ。

「……チェシャ、大きくなりたいんだがなんかいい方法はないか。」

 万策尽きた今、この世界の住人に聞くのが手っ取り早い。そう思いダメ元でチェシャに尋ねてみた。
 いまいち信用ならないがしょうがない。セクハラは耐えられないって言うしな。

「大きくなりたいのであるか? ならば、いいのがあるのである。この木の洞(うろ)にある薬を飲むといいのである。ちなみに『セクハラは耐えられない』ではなく『背に腹はかえられない』である。」
「そうとも言う。」

 そう嘯(うそぶ)きつつ、俺はチェシャに薦められるまま木の洞に手を突っ込んだ。
 何もない空間からガラスのビンらしき何かを見つけ取り出すと、それはまさしく奇妙な液体の入ったビンだった。

「これか?」
「そうである。それを飲めば大きくなるのである。」
「そうか。」

 そのビンの蓋を開け一気に飲み込む。
 するとドクンという胸鳴りのあと、すぐ違和感に襲われる。服がきつくなっていく感触。特に胸元。というかそこだけ。……そこだけ?
 疑問に感じ、目線を下に、胸元にやると、大きくなっていた。胸だけが。地面が見えないぐらいに。つか重い。
 正確なカップの計り方なんぞ知らないが、もともと普通サイズ(B?)だったのが今やF以上はあろうかと言うほどになっていた。

「チェシャっ! これ、どういうことだっ!!」

 俺は声を荒だけチェシャをにらみつけた。
 するとチェシャは、

「前々からうっくん。は胸が小さいと悩んでいたのである。だから巨乳化薬を渡したのであるが、なるほど少女は大きいのは嫌いであったか。」

 いけしゃしゃとそう言って、ニヤリと笑う。
 こ、こいつ、絶対にわざとだろ。

「おれが欲しかったのは巨乳化薬じゃねぇ。巨大化薬だっ!!」
「ならば最初からそう言えば良かったのである。もう一度、この木の洞に手を突っ込むのである。」
「こ、こうか?」

 促されるまま手を突っ込むと、またしてもビンらしきガラスの感触があった。

「そう、それである。それが巨大化薬である。」

 チェシャに促されて、そのビンを取り出す。

「テケッテ テテッテ〜♪ びっくらイート である。」

 取り出すのに合わせてチェシャがどこかで聞いた事のあるような効果音と名前を吐いただが、突っ込んだら負けな気がするのでスルーをかます。
 取り出したビンの中にはさっきとはまた違った奇妙な液体が。う。さっきより不味そう。

「さっさと飲むのである。」

 チェシャに促され、その薬に口を付けようとしたがふとある不安に気付き確認する。

「……このまま、体が大きくなると服が破れちまうよな?」
「その服は100倍にまで伸びる素材でできているから大丈夫なのである。」
「そうか、なら安心だ。」

 実際そんな素材があるのかどうかは知らないがチェシャの回答に一応納得した俺は、見た目に反してイチゴの味がする巨大化薬を一気に飲み干した。
 すると、またドクンと胸鳴りがした後、今度は体全体を違和感が襲った。眩暈がした為、倒れ込まないよう壁にもたれかかる。すると壁と設置している面から下に引っ張られる感覚を感じがした。そうか、壁が下に行ってるんじゃなくて俺自身が上に、つまり背が伸びてるんだな。
 眩暈が止んだ後、軽く頭を振ってから目を開くと、目の前にあった巨大なドアは普通サイズのドアになっていた。俺が大きくなった分相対的にドアが小さくなったように見えるだけだろうが。
 何はともあれこのドアを通ることが出来るようになったって訳だ。


 ドアをくぐるとそこは一面の銀世界、ではなく行き止まりだった。

「否である。足元を良く見るのである。」

 いつの間にか大きくなったチェシャが同じく大きくなった木の上で言った。
 言われるがまま足元を見ると、確かに小さなドアが。む。元の大きさなら通れそうだけど、今の大きさだと無理だな。
 部屋の中を見回すと案の定、縮小化薬と書かれた張り紙とテーブルが。そして例に漏れず、うっくんが飲んだ後と思われる空のビンがテーブルの足元に転がっていた。
 しゃあない。困った時のチェシャ頼みと行きますか。

「チェシャ。小さく、と言うか元のサイズになりたいんだが……」
「小さくであるか? ならば、いいのがあるのである。この木の洞(うろ)にある薬を飲むといいのである。」

 なんか聞き覚えがあるんだが気の所為だろうか。
 そう考えつつ、俺はチェシャに薦められるまま木の洞に手を突っ込む。
 何もない空間からガラスのビンらしき何かを見つけ取り出すと、それはまさしく奇妙な液体の入ったビンだった。

「これか?」
「そうである。それを飲めば小さくなるのである。」
「そうか。……なぁ、さっきも同じやり取りしなかったか?」
「気の所為である。」
「そっか〜、きのせいかぁ〜。」

 なら安心だ。
 そのビンの蓋を開け一気に飲み込む。
 するとドクンという胸鳴りのあと、すぐ違和感に襲われる。服が緩くなっていく感触。特に胸元。というかそこだけ。……そこだけ?
 疑問に感じ、目線を下に、胸元にやると、小さくなっていた。胸だけが。さっきまでと違い地面が容易に見える。つか、見通し良すぎ。
 さっきまで確かにF以上はあったのが今やAにも満たないだろうと言うほどになっていた。

「チェシャっ! どういうことだっ!!」

 俺は声を荒だけチェシャをにらみつけた。
 するとチェシャは、

「先ほど少女が大きいのは嫌いと言っておったから貧乳化薬を渡したのであるが、なるほどまたしても勘違いであったか。」

 いけしゃしゃとそう言って、ニヤリと笑った。
 こ、こいつ、絶対にわざとだろ。

「確かに俺は大きいよりかは小さいほうが、ってそうじゃねぇ! そもそも俺が欲しかったのは縮小化薬だっ! 貧乳化薬じゃねぇ。つかこのやり取りやっぱ2回目っ!」

 そう喚いたものの当のチェシャは我関せず、俺の文句などお多福風邪と聞き流している。

「……『どこ吹く風』である。」
「そうだっけか。」

 素で間違えたんだが取り敢えずとぼけておく。

「しかし縮小化薬であるか。ならば最初からそう言えば良かったのである。もう一度、この木の洞に手を突っ込むのである。」

 その台詞も2回目だっちゅうの。そう心の中でぼやきつつ、洞の中から液体の入ったビンを取り出す。うん。今までの三つより格段においしそうな色合いだ。
 俺は薬の味にも期待しつつ、口をつけた。……まずっ。
 今まで飲んだどれよりも不味かった。うっ、不味すぎて気を失いそ ――


 気がついたら、俺は暗闇の中にいた。
 しかも狭く重い。なんかゴムのような物で辺りが覆われているようだ。

「一体どうなったんだ。」

 呟くがチェシャからの返事はない
 とりあえず這いつくばれば何とか動けそうなので、少し離れたところに見える明かりを目指して進む。
 暗闇を抜けた先には俺サイズの扉があった。うむ。どうやら無事、元のサイズになれたみたいだな。とすると、さっきの重たいゴムみたいなのはなんだったんた?
 気になって後ろを振り向くとそこには巨大なスク水が。
 で、でけぇ。一体どこからこんな物が……。って、ちょっと待てぃ。

「チェ、チェシャ? 薬飲んだら服も一緒に縮むんだよな?」
「そんな事は誰も言ってないのである。」

 いつの間にか俺と同スケールとなった木の上の同じく同スケールのチェシャが答えた。

「言っただろ。大きくなる薬を飲む前にっ。」

 チェシャは少し考えた後、器用に前足をポンと叩く。

「伸びるとは言ったであるが、縮むとは言ってないのである。」

 そ、そう言われれば……

「と、とにかくこのままじゃいろいろ不味いだろっ。なんか着る物、着る物はないのか?!」
「それなら、この木の洞 ―― 」

 チェシャが言い切る前に俺は手を突っ込んだ。いつまでも裸のままでいられるかってんだ。

「あっ、うっ、ちょ、やっ、まっ、待つのである。くすぐったい、くすぐったいのである。」

 くすぐったいって身体の一部かよ。と、そんなことより服、服。
「あった!」

 俺は見つけた物を一式取り出し床に並べる。
 白いカボチャパンツにキャミソールだがシミーズだがわからないがシャツみたいなの。それとフリル付きの薄紅色のエプロンドレス。大きなリボンのオマケ付き。
 うむ〜。思わず呻く。

「他にないのかよ。」
「ないのである。それが異世界から来た少女の正装である。」
「そ、そうか。って、俺は男だ!!」
「今更である。」
「うぐぅ。」

 事実をつき付けられて返す言葉もない。

「着ないのであるか? 着ないなら着ないで、我輩も眼福であるからして嬉しい限りであるが。」

 そう言ってニヤリと厭らしい笑みを浮かべる。
 もちろん、そんな訳に行かない。俺は大慌ててそれらの服をすべて身に付けたのだった。って、リボンまで付ける必要なかったんじゃ……。

「うむ。思った通り、いや、思った以上によく似合っていて可愛いのである。」
「うっさいっ」



 ドアを上げると長ったらしい廊下になっていた。
 長い、とにかく長い。終わりが見えないほど長い。
 早くも挫けそうになるが、こんな所で挫けているわけには行かないのでとにかく歩き出した。で、一心不乱に歩いた。
 雨にも負けず、風にも負けず、雪にも、夏の暑さにも耐え、鏡の中から漂う妙な気配さえも無視して、俺は進んだ。いや、雨も風も雪も暑さも嘘だけどさ。
 そうして暫く進んだ後、暇になってきた俺はぼそりと独り言を呟いた。

「もしかしてチェシャに聞けば、男に戻る薬ってのも手に入ったんじゃないか?」
「性転換薬であるか?」
「そうそれ。」
「ならば、持っているのである。」
「ホ、ホントかっ!?」

 思わず振り向き、木の上のチェシャに問いかける。って、ちょっと待て。
 俺の独り言にチェシャが割り込んで来たのはまあいい。
 だが、俺はその間立ち止まっていたわけでなく前へと着実に歩を進めていた。
 で、声の感覚で考えるに俺と話しでいる間、チェシャは付かず離れずの位置を取っていた筈だ。
 にもかかわらずだ、チェシャはいつもの木の上に乗っている。
 一度前へ向きなおし、数歩進んで後ろを振り向いた。すると、すぐ後ろにチェシャがいた。もちろんさっきと同じような木の上。しかも、さっきまであった場所に木はなく……。
 え〜と、もしかして木ごと移動している? 音もなく?

「どうしたのであるか?」
「あっ、いやなんでもない。」

 そうだ、ここは不思議の国だ。そんな些細の事で突っ込んでいたら、身体が持たないに決まっている。うん、無視だ。無視しよう。

「で、性転換薬。ホントにあるのか?」
「少女もしつこいのである。あるといったらあるのである。嘘だと思うなら洞の中を探るのである。」

 言われるままに手を突っ込むと確かにビンみたいな容器があった。
 しかしこの洞。どうなってるんだ? 欲しい物が次から次へと。まるで四次元 ――

「見つけたならとっとと取り出すのである。」

 チェシャに急かされ、考えを中断せざるを得なくなった。

「あっ、すまんすまん。」

 謝りつつ、手につかんだビンを取り出す。

 無色透明で粘り気の無い液体が入っている。……地味だ。地味すぎる。地味すぎて逆に怪しい。
 ちらりとチェシャの方に目をやると例のニヤリと言う笑みを浮かべていた。
 そ、そう言えば、いままでは最初からまともな薬を渡したこと無かったよな。確か二度ある事はサンポールって言うし……。あ、あやしい。絶対に何か隠してやがる。
 よし、そっちがその気ならこっちだって……

 俺はビンの蓋を開けると、その飲み口をチェシャの口に突っ込んだ。
 不意をつかれたチェシャは目を白黒させながらも、薬が流れ込むままにしている。

「おぉ、減ってる減ってる。」

 薬が全部なくなったのを確認してからチェシャを開放する。
 ゲホゲホっと少しむせてから、チェシャが文句を言う。

「何をするのであるか。動物虐待反対なのである。」
「いや、喉が渇いてるだろうと思って。」

 もちろん嘘だ。

「それはそれとして、何も起きないじゃないか。やっぱあの薬は偽物だったんだな。」
「効果が出るのに時間が掛かっているだけであ ―― 」

 チェシャが最後まで言い切る前にBOMBという音がし、同時にチェシャ(とチェシャの乗っていた木)を煙が覆い隠した。
 そして、暫く後、煙が晴れた時にはチェシャ(と木)の姿はなく、代わりに一人の女の子がいた。
 チェシャが履いてたスニーカーを履き、迷彩服に身を包んでいる。尻からは長くスラッとした尻尾が生え、青いショートカットの髪の間からは同じく青色をした猫の耳が顔を覗かせている。
 しばし呆然としていると、その女の子は腰につけていた木目調のウエストポーチから、大き目の手鏡を取り出して覗きこんだ。

「ふむ。これが我輩であるか。なかなかに美少女である。」

 鏡に映る自分の顔を見て、一人悦に入る女の子。自分で言うなというツッコミを入れても良かったが、確かに美少女だった。鏡水の泉で確かめたうっくん(つまり、今の俺)の顔も美少女だったが、それとは違うタイプだ。

「おまえ……チェシャか?」

 状況証拠がそうだとは言っているが、余りの変化に信じきれず思わず尋ねる。

「当たり前である。少女が薬を飲ませたのに何を言っているのであるか。」

 と言う事は……

「あの薬、本物だったのか。」
「見ての通りである。」

 そっか。ならば……

「さっきの薬、もう一回くれ。」
「ムリである。」
「そう言わずに。さっき無理やり飲ませた事は謝るからさ。ほら、この通り。」

 俺はチェシャ、いやチェシャ様に手を合わせ拝み倒した。が、

「ムリなものはムリなのである。さっきの薬が最後の一つだったのである。次に手に入るのは100年後。それまで待つのである。」
「そ、そんなに待てるかっ!」
「自業自得なのである。」



 性転換薬で男に戻る事を泣く泣く諦めた俺はとにかく先に進む事にした。
 こうしてる間にもうっくんは先に進んでいるんだ。こんな所でうだうだしてたんじゃいつまで経っても追いつかない。
 と、思っていたのもつかの間。

「なぁ、チェシャ? アレ、何だと思う?」
「うっくん。である。」
「だよなぁ。」

 まあ、正確には俺の姿をした『うっくん』ではあるが。

「じゃあ、何をしてるんだと思う?」
「寝ているようである。」
「だよなぁ。」

 そう、ちょうど良い感じの石の上で寝ていやがる。

「なんでこんな所で寝ていると思う?」
「難しい質問ではあるが、恐らくここに着いた時点で時間に余裕があったから一休みしようとして、そのまま熟睡といった所である。」
「あ〜、やっぱりチェシャもそう思うか。」
「どうするである? このままほっといて先にゴールするが得策であるが。」
「そうだな……、油断してこんな所で寝ている奴がわるいんだし。って、んな訳あるかっ。取り敢えずうっくんを起こすぞ。」
「あいあいさ〜 である。」


 数分後……

「起きん。」
「コツがあるのである。」
「コツ?」
「うむ。45度の角度で頭にチョップをかませば良いのである。」
「そんな、壊れかけのテレビみたいなことあるわけ……」

 とぼやきつつ試してみる。すると起きた。
 声を掛けても、揺すっても、ほっぺたをつねっても、布団を剥ぎ取っても、往復ビンタをしても、果てはフライングボディブレスを浴びせても起きなかったのに。

「ふぁ〜。良く寝た。」

 やっと目覚めたうっくんは、体を起こすと俺を見て目をぱちくりさせる。

「……あれっ、ボクがいる?」

 まあ、予想通りの反応。



「と言うわけだ。」

 俺とチェシャは近くのオープンカフェで茶を飲みつつ、うっくんに経緯を話した。
 すると途端にこのふくれっ面だ。

「むすぅ〜」

 うっくん本来の顔ならば似合っていて可愛かったのかも知れないが、今は俺の顔。なんちゅうか感想に困る。

「いや、裸を見てしまったのは謝る。けど、あれは不可抗力だ。」
「そんなことより、胸。ボクの胸返して。」

 そんな事って……。いいのか? それで。

「返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返してっ、カエセッ!!!」

 俺はその勢いと最後の一言の迫力に呑まれて、椅子ごと引っ繰り返りそうになったが何とか堪えた。

「いや。返してって言われてもだなぁ」

 俺の顔をしたうっくんに詰め寄られて困り果てる俺だったがチェシャの姿を目に入った瞬間に妙案が浮かんだ。

「そうだっ、巨乳化薬だ。チェシャの持っている巨乳化薬を飲めば元のサイズどころかそれ以上に ―― 」
「ホントっ?! ホントのホントにホントなのっ!?」
「お、おう。」

 うっくんの勢いに押され、こくこくと首を縦に振り続ける俺。

「チャシャっ!!」
「な、なんであるか。」

 その勢いに流石のチェシャも及び腰だ。

「ちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいっ、巨乳化薬ちょうだいっ!」
「それはいいであるか ―― 」
「やった。やった♪ やったぁ〜♪♪」

 喜びのあまり椅子から立ち上がり跳ねまくるうっくん。

「いいであるがうっくん。には効果はないのである。」

 そんなうっくんにチェシャの冷酷な一言が突き刺さった。うっくんに5000のダメージ。
 その言葉にうっくんの動きも凍りついたかのように止まる。

「やっ……えっ? な、なんで?」

 なんか今にも泣き出しそうだ。

「あの薬は1回飲むと免疫を作られてしまうからして1人1回しか効果がないのである。」
「で、でもボクまだ飲んでない……」

 なんか目元が潤んできている。

「確かにうっくんは飲んでないが少女が飲んだのである。いま少女の体はうっくんの体のだからして飲んだのはうっくんの体なのである。」
「そ、そんなぁ」

 うっくんは崩れ落ち、何やらぶつぶつ呟き始めた。
 何を言ってるのかと耳を澄ましてみるとある二文字を延々と繰り返している。

「むねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむむねむね……」

 うざっ。 つか、そんなに大事なのか? 胸。どうも俺にはよくわからないのだか……
 と、ともかく俺の顔でむねむね言うのを止めさせないと。俺が巨乳フェチだとか思われる。

「う、うっくん? その、なんだ。胸の事は謝る。だから、俺の顔でむねむね言うのは……」
「むねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむねむね……」

 聞いちゃいねぇ。

「あ、あのな? 俺は胸が小さくても良いと思うぞ? つか小さい方が好きだと言う奴も結構いるし。」
「……むねむねむね ―― むね?」

 そう言うとうっくんの呟きが徐々に小さくなり最後は俺に問い掛けるように言った。『本当?』って意味だよな?

「お、おう。つか、少なくとも俺は小さい方が好きだ。」

 そういうとうっくんは目を見開き俺を見つめた。これで入れ替わってなかったら俺はどぎまぎしているだろうか、残念なから現実はそうじゃないから残念だ。

「ホ、ホント? じゃ、じゃあ、せ、責任とってくれる?」

 うっくんはそう言いつつ上目使いで俺を見る。いや、だから俺の顔でそんな仕草されても……
 って、責任って、もしかして……

「え、えっとそれって付き合うって事か?」

 うっくんは恥ずかしいのか顔を赤くしてこくんと頷いた。

「俺とおまえが?」

 こくん。再び頷く。顔もさっきより赤い。というか真っ赤だ。
 鏡の泉で見た今の俺の ―― と言うかうっくんの姿 ―― から現状を加味して思い浮かべて見る。……服装はともかくアリだよな。
 テレつつも俺に微笑みかけるウサ耳少女。ささやかと言うほどにもないソレを主張する様に腕を絡ませつつ押し付けるいじらしい少女……。
 断る事なんて考えるまでもないよな。

「それならオ ―― 」「きゃ、却下なのであるっ」

 『オッケー』。そう言い切る前にチェシャから待ったが掛かった。かなり慌てた様子で言ったチャシャ自身も少し驚いていた。

「しょ、少女には我輩をこの姿にした責任をとって貰うのである。」
「えっ、せ、責任ってもしかして……」

 うっくんと同じ意味か?
 チェシャもうっくんとはタイプが異なるものの美少女なのは言うまでもない。可愛い系のうっくんとクール系?のチェシャの両手に粟。男に生まれた以上逃す手はない。

「その通りである。責任とって実験体になって貰うのである。だ、だから、親友のうっくんでも少女はやれないのである。い、言っておくであるが、べ、別に少女といるといつも以上に面白いからとかそんな理由ではないのである。」

 そうだよな、いきなり二人から告白とかないよな。うん。ちょっと期待しちまったじゃないか。

「だよなぁ。うっくんとチェシャで両手に粟とかそんな都合がいい事ある訳ないよな。うん。」
「それを言うなら濡れ手に粟、いやこの場合は両手に花なのである。」

 ん、チェシャは実験体とは言ってるが微妙に頬が紅潮してるような……。もしかして照れ隠しとかそんなか?

「ダメダメダメダメぇ〜、ボクが責任とって貰うんだもん。」

 何かを気付いたようにうっくんが勢い良く立ち上がり俺の左手を引っ張り、チェシャから俺を遠ざけようとする。

「きゃ、却下なのであるっ。わ、我輩が責任とって貰うのであるっ」

 対するチェシャも咄嗟に俺の右手を掴み逆方向に引っ張る。

「いっ、痛っ、痛いっ、痛いって、引っ張るなっ、ちょっ、ち、ちぎれる〜。つか、髪はダメ抜ける抜ける抜ける〜〜〜」

 三方向から引っ張られ、俺は悲鳴を上げるしかなかった。


 と丁度その時、けたたましい高音が鳴り響いた。

『侵入者っ。侵入者です。総員直ちに所定の配置に付いて下さい。繰り返します。侵入者です。総員直ちに ―― 』

 その警報に両手と髪を引っ張る力が弱まる。だが、それにも気づかないほど俺の頭の中は『まずい』という感情が支配した。
 侵入者 ―― つまりは俺のこと……だよなぁ。くそっ、見付かっちまったか。こんな事ならオープンカフェなんかじゃなくてもっと人目に付かない所で話すべきだった。こづかい先払いならずだぜ。

「違うよ。黄海先にナマズだよ?」
「それを後悔先に立たず、なのである。」

 危機感なんぞ微塵も感じずそう俺に突っ込むうっくんとチェシャ。

「あっ、そっか。……ってそうじゃなくってっ。どうするんだよ?! 捕まったら死刑だぞ?! 終わりなんだぞ? 俺は死にたくねぇ。」
「死刑?」

 チェシャが何のことだと首をひねってちょっとの間をおき、何かを思い出したように手を打つ。

「あぁ、アレは ―― 」「ねぇ、そんなことより」

 だがチェシャのその言葉はうっくんの声により中断された。
 そ、そんなことよりって、いまチェシャは重要なこと言おうとしてたんじゃっ?!
「その子、誰?」

 そう言って俺の後ろのほうを指差すうっくん。それに促されて俺も後ろを見る。が、そこには誰もいない。

「おいっ、誰もいねぇぞ?」
「後ろだよ。」
「少女の後ろである。」

 うっくんとチェシャからそう言われ後ろを振り返ると誰もいない。が、いま少し影が見えた。

「また後ろだよっ」
「回り込まれたのであるっ」

 くそ、ちょろちょろと。俺はぐるぐるとその場で回る。影も俺の視線から逃げるように俺を軸にしてぐるぐると回る。ある程度回ったところで俺は急に動きを止めた。すると案の定予想外の動きについて来られなかった影は、とうとう自分から俺の目の前に現した。
 俺の前に現れたのは、え〜と、なんだ。一見10歳位だがソレにしては胸が大きい少女。
 だが、それ以上に特徴的なのは、頭の上にはイヌの耳と本来耳がある場所には魚のヒレのようなもの。背中には黒いコウモリの羽と白い鳥の翼を片方ずつ。尻からはタヌキとキツネとネズミとリスとライオンとスカンクとトカゲとカメレオンとアリ(腹だけど)の尻尾とコンセントみたいなもの。頭にメイドカチューシャをつけ、チャイナドレスのスリットの間から巫女さんとかが身に着ける袴が見える。ぶっちゃけ、いろいろ混ざりすぎてよくわからん。

「敵だ。」

 俺の影から全身が露になったなんかごちゃごちゃした少女を見てうっくんがぼそっと言った。

「てきてきてきてきてき……」

 親でも殺されたかのような憎しみの視線を持ってごちゃごちゃした少女を睨んでいる。
 まあ、もっぱら視線は胸元に注がれているが。ってか、俺の顔でそんなにマジマジ見んな。俺がおっぱい星人か『ロリ属性』の人だと思われちまうだろがっ。
 今にも飛び掛りそうになっているうっくんを抑えつつ、チェシャにも助けを求める。

「お、おい。チェシャ。おまえもうっくんを ―― ってチェシャ?」
「……敵なのである。」

 チェシャは怯えるようにそう呟く。うっくんはともかくチェシャまで、一体どうしたんだ。

「少女。さっきの警報、侵入者と言うのは少女のことでないのである。」
「え?」

 突拍子のない振りについて行けなくなる。

「侵入者と言うのは鏡の国から潜り込んできたコイツのことなのである。」

 そういうチェシャの視線の先には例のごちゃごちゃ娘。

「じゃ、死刑ってのは?」
「もちろん嘘なのである。いくらなんでも迷い込んだだけで死刑にはしないのである。そもそも少女のような異邦人はエトランゼと言って不思議の国では歓迎される者なのである。」

 そっかウソかぁ。そう聞いてほっとしかけて ――

「えっ?! うそ?! なんで?!」
「その方が面白うだったからである。」

 本来ならいつものニヤリと言う笑みを浮かべるところだが、いまのチェシャにはその余裕すらないのか冷や汗を頬に浮かべながらそう言った。

「問題なのはインベータ、侵略者なのである。」

 何だがよくわからないが、かなりヤバい状況である事だけはわかった。



「で、お前は何者だ? なぜここに来た? お前がその侵略者って事でいいのか?」

 俺は意を決し、ごちゃっ娘に名前を聞いてみた。いろいろごちゃごちゃくっ付いているが、それ以外は小さな子供なんだし何とでもなるだろう。まあ、そう安楽的に考えた結果ではあるが。

「相手名前聞く、自分名乗る礼儀。ジャバウォック思う。」
「あっ、すまん。ジャバウォックでいいんだな。俺の名前は ―― 」
「ナ、ナゼ判った?! ジャバウォックまだ名乗ってない。」

 俺が言い切る前にごちゃっ娘が口を挟む。それに答えてやる俺も俺だが。

「いや、自分で言ってたじゃねぇか。ジャバウォックって。それともなにか? ジャバウォックてのは名前じゃなかったのか?」
「ジャバウォック長い。ウォックいい。」

 微妙に話がかみ合ってない気がするが……、取り敢えずウォックと呼べばいいんだよな。

「分かった。ウォックだな。俺の名前は ―― 」
「ウォック名前あってる。それいい。」

 って、俺の名乗り無視? まあいいけど。

「ウォック、お前世界賭け勝負する。」
「お、おい。いきなり世界を賭けてって、なぜ? つうか一体なんで俺?」

 つか、いきなり話のが飛んだせいで俺にはさっぱり何のことだがわからんのだが、何で俺が勝負を挑まれてるわけ?

「……ひとめぼれ。鏡中見た。だからウォックもの。」
「はい?」

 え〜と、ひとめぼれってあのひとめぼれ? 米じゃないよな? えっ、なに? この、3人から取り合われるつうハーレム展開みたいなの。なんか俺ついていけてないんだけど?
 そんな俺の困惑を無視して、チェシャとうっくんが勝負を受ける。

「わ、分かったのである。絶対に少女と世界は渡さないのであるっ」
「ボクだっているよ。」

 え゛っ、俺も賞品!? アレってそういう意味だったのか?!

「ん、勝負。」



「くっ、このままじゃ……」

 ウォックのハイスペックぶりに手も足も出せず、即効で崖っぶちに立たされる。
 そりゃ、あんだけいろいろくっ付いているんだから普通の人間である俺なんかが勝てるわけない。
 つうか、なぜ勝負を受けたうっくんやチェシャじゃなく俺が相手してるだよ……。

「くそ、ここまでか。」

 俺が諦めかけたちょうどその時 ――

「これをっ!!」

 うっくんが一本の棒を俺の方に投げた。俺は反射的にその棒、いやステッキをキャッチする。そしてそのまま祈るような形でステッキを両手に持つ。
 両手でステッキの柄を持ち、左膝を地面につけて片足立ち。頭は少し下向きに。そして俺は目を閉じ祈るように呟いた。

「ワンダリング・ワンダー メイキン・アップ!」

 呪文を唱え終えた俺は目を見開いて頭を上げる。すると同時に、ステッキから光があふれ出す。その柔らかい光が俺を包み宙へと導いた。
 いつのまにか俺の着ていた服は光の中に融けていたが、すぐに光が纏わりつき新たな服を構成する。まず首元に襟のような形で白い光か纏わりつくとそこから下へと赤い光が伸び、肩の部分もふわりと丸く覆い薄紅色のワンピースを形成する。後頭部に光が集まり弾ける。そこに大きな赤いリボンが生まれた。
 最後に上から大きな白い輪っかが降りてくる。その輪を通った所から順に金色のティアラと真っ白な前掛けが形成される。これで変身は終わり。俺はふわりと高台に降り立ちステッキを片手にポーズを決めた。

「何奴。」

 それを見たウォックが驚きの声をあげる。変身する所を見ていたにもかかわらず律儀な奴だ。

「白いウサギに導かれ不思議の少女ワンダー@ガール、不思議に登じょ〜♪」

 ……。って、ちょっと待て。俺は一体今何をやった?! ステッキ受け取って変身して高台でポージング?! 俺はドコの魔法少女だよ!?

「ま、まさか噂聞くワンダー@ガール正体お前だったとは。」

 いや、『噂に聞く』とか言われても変身したの、今日が初めてなんだが?

「待つ、公式ファンブックある。」

 って、公式ファンブックまであるんかいっ?!
 そういうとウォックはドコからとも無く一冊の本を取り出し俺に手渡した。俺はウォックからその本を受け取りぱらぱらとめくる。……本物っぽいし。

「サインプリーズ。」
「あっ、うん。」

 俺はステッキの先っぽをキュッ捻り、マジックの先端を出すと本の最後のページにサインした。でも、俺のでよかったのか?

「って、そうじゃなくって。こんなんまであるならナゼ分からん?! このティアラ以外変身前と殆ど同じだろっ!?」

 正気に戻った俺は思わず突っ込みを入れる。が、ソレに関しての回答はあっけないものだった。

「礼儀。」「マナーなのである。」「常識だよ?」

 だから、俺はがくりと膝をつく。あぁ、そういやここはそういう世界だった……。



「ワンダー・モーニングショ〜ト!!」

 俺の放った光の玉がウォックに当たり大きく体力を削る。衝撃でよろめくウォックを見逃す俺ではない。そこから一気に間を積め、弱パンチ、弱パンチ、一歩下がって弱キック・強パンチと決めるとその瞬間相手の体力が無くなった。

「おっし、勝利!」

 俺は思わずガッツポーズを決める。

「まだ一戦残ってる。」
「わかってるって。」

 そう軽く答えて俺は画面に向き直るとコントローラをギュッと握る。
 勝負の内容はいま巷で有名な格闘ゲームの対戦モード。ルールは二本先取。いま一対一のイーブン。つまりこの勝負で決着がつくと言うことだ。
 ……いま思えば変身した意味って無かったんじゃ ―― ま、いっか。

 現状、1対1のイーブン。時間制限はなし。ウォックが難易度:Hardのボスキャラなのに対して、こちらはもっぱら最弱と名高いキャラだ。お互いに使用キャラはランダムで決めたのから文句はない。そもそも俺、このキャラ使い慣れてるし。
 カーン。戦いのゴングがなる。が、俺もウォックも互いに出方を見て自ら動こうとしない。前二本が共に先に動いた方が負けているから、ジンクスと言うこともないが、やはり動きにくい。
 そんな中、最初に動いたのは俺だ。別に焦れた訳じゃない。これは囮。相手の攻撃を引っ張り出す為の駆け引きだ。
 ほんの少しだけ前に出る。リーチの短い俺ではもう少し間を詰めないと攻撃が当たらない。が、ウォックには十分攻撃圏内の位置。そこにわざと入り相手の攻撃を誘う。案の定ウォックは攻撃を仕掛けてきたわけだが、俺はバックステップでそれを交わし、行き過ぎたところで今度はダッシュで間を詰める。
 ウォックが怯んでいる内に急いで十字キーを二回転させ同時に投げボタンを押した。すると俺(のキャラ)はウォック(のキャラ)を掴み画面外までジャンプする。そしてすぐに上下逆さまにぐるぐる回りなから堕ちてきてウォック(のキャラ)の頭を地面に叩きつけた。ウォックの体力ゲージは見る見る下がり、残り5分の4といった所か。

「くぅ。」

 俺の特殊投げ『ワンダフル・ワンダー・フォール』を喰らいウォックの口から小さな悲鳴が漏れた。
 さて、ファーストアタックは奪えたもののここからどうするべきか。そう考える間にもウォックの怒涛の反撃が始まってたりするのはご愛嬌だが。
 おれはある時は避け、ある時は防御と確実にウォックの攻撃を捌いていたのだがそれでも俺の体力ゲージが削られる。元々のキャラ性能が違いすぎているから当然といえば当然。
 こちらもチャンスを見つけてはダメージを与えているのだが、体力差は既に入れ替わっており差が広がるばかりだ。
 程無くして俺の体力は残り5分の1、ウォックの方は半分弱といった所。もう少しダメージを喰らったら、アレが使える。ギリギリだが、もしかしたらその一撃で片が付くかもしれない。だかそれが外れたら……。
あの技は決まった後の硬直が長い。倒しきれなければ反撃を喰らいこっちが負けるだろう。など考えているうちにも体力が減っていき、アレを使えるようになってしまった。さてどうする。

   1:やる。
   2:やらない。

 俺の選択は

「1だっ!!」

 その声に驚き、ウォックの動きが一瞬止まる。思わずマナー違反してしまったが、チャンスは今しかない。
 俺は一気にウォックとの間を埋めコマンドを手早く入力する。素人なら確実に押し間違えるコマンドだが、入れ慣れた俺にとっては全然苦でもない。コマンドが入った直後、画面が暗転して『ぴよぱよ〜ん』とか『どてちか〜ん』とか何だが意味不明な音がする。一体なにが起きてるのか想像もつかない。超低確率で暗転しないパターンもあるそうだが俺はまだ見たことはない。てか、使い込んでいる理由がそれを見たいからだ。
 暗転が明ける。ウォックの体力は0、に見える。だがウォックのキャラはまだ生きてる本の僅か1ドット分ぐらい残っているようだ。
 ウォックは俺(のキャラ)がピヨってるのを確認するとすぐに攻勢に移った。当然といえば当然、下手に情けを掛けて俺の回復を待ったところで、俺に止めを刺されるだけだからな。問答無用のウォックの攻撃を無防備のまま受ける俺。
   ―― Your Win.
 ウォックの勝利を示すファンファーレがなった時にはそれから3秒も経っていなかった。

「くそぉ、負けたぁ。」

 俺は負けたと言うのに逆にさばさばした気持ちでそのまま後ろに倒れた。我ながらいい勝負だった。
 そんな俺をウォックが覗き込んでくる。

「さっきあれなんだ。ウォックあんな技知らない。」

 だろうな。説明書にもゲーム中のコマンド表にも載ってないやつだし。おれ自身も偶然見つけた。

「ちょっと、頭どけろ。」

 俺はウォックに頭を退けるように様に促すと体を上げる。

「よっと、さっきはすまなかったな。」
「?」

 いきなり、誤られて何のことかと混乱するウォック。

「思わず叫んじまって。アレは紳士的じゃなかった。謝る。」
「それどっちいい。さっきあれなんだ。教えろ。」
「はは、そうか。どっちでもいいか。」

 じゃあ、俺もウォックが手加減してた事は『どうでもいい』と言うことにしとこう。

「あの技はあのキャラ専用の隠し技でな、体力ゲージが6分の1以下になったときにしか使えない上に……」
「ふむふむ。」

 俺の説明を真剣な眼差しで聞くウォック。ちなみにチェシャとうっくんは世界(と俺)を賭けた勝負に負けたと分かり呆然といしている。と言うかこの和気藹々とした雰囲気の理由が理解できず困惑しているといった方が正しいかもな。

「さて、賭けはウォックの勝ちだが……『世界』なんかどうするんだ?」

 早く俺の教えた隠し技を試してみたくてうずうずしているウォックに敢えてそう聞く。
 賭けよう。ウォックは『それはどうでもいい。ソレよりもう一回勝負しろ』という。

「それどういい。ソレもう一回勝負。」

 ほらな。勝負している間に気付いた。というか確信した通りウォックは元々、賭けの結果なんかどうでもよく、単に遊びたかっただけなんだ。じゃないとわざわざ手加減しない。アレだけ性能差が開いてるキャラ同士で戦って接戦できるほどやわいゲームじゃないし、あのゲーム。

「じゃあ、代わりに賭けはチャラと言うことでいいか。それなら何度でも付き合ってやるが……」
「OK。じゃあ早速勝負。」

 ウォックは一瞬たりとも考えずに速攻で答えた。思わず苦笑する俺。

それから数回勝負をした俺達。気づくといつの間にか夕暮れ時となっていた。

『ピンポンパンポン ピンポンパンポン』

 ウォックにこてんぱんにやられたうっくんと俺が交代しようとした時、ドコからとも無くチャイムが鳴った。なんだろうと俺は耳を澄ます。

『不思議の国からのお知らせです。6時になりました。侵入者の皆さんは車に注意して気をつけて帰りましょう。繰り返します。6時になりました。侵入者の皆さんは……』

「どうやらみんな配置に間にあってたみたいだね?」
「であるな。」

 ……もしかして大分前になった警報で言ってた『所定の配置』ってのはこの放送の為の配置だったりするのか?

「むぅ、残念。帰る時間。」

 しかし6時、もうそんな時間か。

「そうか、ちょっと名残惜しい気もするな。」

 ゲームの電源を切ったウォックはすくっと立ち上がる。

「また来る。」

 ウォックが言う。

「おう、またな。」

 俺が返す。

「またね。」
「再会(サイツェン)である。」

 うっくんとチェシャがそれに続く。
 ウォックはちょこんとお辞儀すると何処へも無く駆け出していく。
 俺達はウォックの姿が見えなくなるまで見送ったのだった。


「こうして不思議の国を救った少女は、その後チェシャと二人仲良く暮らしましたとさ。めでたしめでたし。なのである。Fin.」



「ちょっ、チェシャ、まてっ、おれはまだ元に戻ってないのに勝手に終わらすんじゃねぇ!!」
「そうだよっ! 僕と一緒に暮らすんだもん!!」
「いや、そうじゃねぇだろっ?!」
「ならやっぱり我輩と?」
「それも違っ!!」
「ウォック一緒。」
「帰ったんじゃないのかよ?!」
「では、あたしですか?」

 なんか、なんかかんだでしっちゃかめっちゃかな内に割り込んできた誰かに勢いで突っ込みを入れる。

「違っ! って、誰だよっ! あんた?!」
「あっ、申し遅れました。あたしはこういう物です。」

 その誰かはそう言って一枚のカード状の紙切れを渡してきた。いや、もう言われなくても分かった。でも、一応手渡されたカードを確認する。

「……ハートのクイーン?」
「はい♪ この不思議の国を治めているハートの女王です。」

 だと思った。見たまんまというかそのものだし。

「で、あの、なにかお悩み事ありますか? あたしに出来る事なら何でも解決して差し上げますよ? あっ、お代は頂いていておりません。お客さんに喜んでもらえるだけで十分です。」

 どっかで聞いた台詞のような気がするが、この際どっちでもいい。
 にしても悩み事か。やっぱ、あれだよな。無理とか言われるか知れないがダメモトで。

「俺達を元に戻せるか?」

 もし、元の姿に戻れるなら手っ取り早いしな。

「それは可能ですけど……、俺『達』ですか?」
「あぁ、俺とうっくんとチェシャの三人だ。」
「「えっ、ボク達も?!」であるか?!」

 なぜか当たり前のことを驚くうっくん達。
 俺が元の姿に戻ると言う事はうっくんも元の姿に戻るって事だし、チェシャがいまの姿になったのも不慮の事故とはいえ俺の責任だからな。自分達だけ戻るわけにはいかないだろ。

「……もしかして嫌とか?」

 うっくんはともかくチェシャが嫌だと言うならチャシャを元に戻すのだけはやめても良いかもと思う。

「「そ、そんなことないっ」であるっ」

 猛烈な勢いで首を振るうっくんとチェシャ。そうか、やっぱ皆もとの姿の方が良いよな。うん。

「と言うことだ。この三人で頼む」
「分かりました。では、お三人をあなたの元の世界に戻しますね。」
「うん♪」「了解である。」
「おうっ。……って世界じゃなくて姿のこ ―― 」

 勢いで返事してしまった後に気づき、慌てて言い直そうとしたがそれを言い切る前に世界が視界がごっちゃになって渦を巻いて俺はとうとう意識を手放してしまったのだった……。


 気付いたら机の上に突っ伏していた。
 むくりと頭を上げ周りを見回す。
 うむ、どこをどう見ても我が校の図書室。壁に掛けられた時計は四時少し前を指している。
 つうことはあれか、あれは夢だったということでいいんだな。まだ半分寝ている頭でそう結論づける。
 小さく伸びをしつつ大きな欠伸。その結果溢れた涙をそっと拭う。

「さて。」

 さっき敢えて無視したそれに向き直る。

「なにをやっている?」

 目の前の、迷彩色のセーラー服の上に白衣を纏いビーカー片手に固まっている少女に声を掛ける。
 が、反応がない。
 恐らく俺が寝ている間に何かしようとしていたのに、その矢先で俺が起きてしまったた め思わず固まった。そんなところだろう。

「……ワンダー・エクセレント・チョ〜プ」

 ぺしっ。
 青い髪の生えた少女の頭に軽くチョップを喰らわせる。

「ふにゃっ?!」

 少女は青いネコ耳をピクッと震わせるとそんな間抜けな声を上げた。

「な、なにするであるかっ?!」

 頭を押さえつつ抗議する少女。

「それはこっちのセリフだ。千恵沙、お前は何をしようと、いや、なにを飲ませようとしていた?」

 俺は千恵沙の問いに応えず、逆に問いただす。
 するとどうだろう。

「べ、別に少女に惚れ薬を飲ませようとしてた訳ではないのである。」

 千恵沙はしどろもどろになりつつ慌てて誤魔化す。
 ……ここ一・二週間の付き合いで解ったのだが、千恵沙にはとてつもなく嘘が下手になる時がある。そう、今がまさにそれだ。

「ほう、惚れ薬か。」
「ち、違うのであるっ!惚れ薬に猫化作用と女性化促進効果を複合させた優れものなんかじゃないのであるっ」
「……」

 俺は無言で千恵沙の手からビーカーを奪い取り図書室の窓から外へと流し捨てた。

「ふにゃっ?!」

 窓の下からそんな声が聞こえたが、まっ、気のせいだろう。

「そんな危険そうなの、誰が飲むかっ!」

 千恵沙の耳がシュンとしなだれる。

「10年に一度出来るか否かの名品であるのに…」
「……前も同じような効果の薬を飲ませようとしていた気がするがそれはヒデブか?」
「それを言うなら『デジャブ』なのである。」

 そうともいう。が、今はそれは問題じゃない。

「誤魔化すなっ。そんなつまらない物作っている暇があったら早く性転か ―― 」
「たっ、たいへんだぁ!!」

 聞き慣れた台詞が俺の言葉を遮る。

「たいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへん……」

 どうやら声の主はドタバタ足音を立てつつも俺達のいる図書室の方へ近付いているようだ。

「……たいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたい……」

 ガラッ。図書室のドアは勢い良く開かれそこから現れた級友は俺達を見付けると大声で叫んだ。

「へっ、へんたいだよっ!」

 思わずこけそうになるのを堪えて、級友の服装に俺ほどわなわなと肩を震わせる。

「へ ん た い は お前だろうがっ!!」

  ―― パシンッ
 間髪入れず、小気味良い音が図書室内に響く。
 もちろん俺が駆け込んできた男子生徒の頭をハリセンで叩いた音だ。

「あうっ。」

 男子生徒が軽く呻く。

「お前は一体何回言えば女装するのをやめるんだっ!」

 そう、その少年はセーラー服にスカートという格好をしていた。

「で、でもぉ。」
「『でも』じゃないっ」

 ハリセンの当たりどころが悪かったのかうっすら涙を浮かべて俺に抗議の目を向ける。
 その表情に心を揺さぶられる。だが、認めん。

「うっくん、似合っているのである。」

 千恵沙は横目で俺の方を見てニヤリと笑う。明らかに俺が嫌がっているのを分かって言ってやがる。

「ありがとう、千恵沙♪」

 あぁ、確かに千恵沙の言うとおり似合っている、似合っているさ。だが、いや、だからこそ認めん!
 他の男ならまだしも俺たちは入れ替わったまま元に戻れていないのだ。
 つまり目の前にいるのは女装した俺。認められるはずがない。
 髪型を変えるこんなに女装が似合うのかとか、初めて見た時一目惚れしそうになったとか、たまに夢に見るとか、もしかして俺ナルシスト?とか、いろいろ併せて認めるわけにはいかないんだ。


「で、何が大変なんだ?」

 話題転換のために分かりきっている事を敢えて訊く。ここんとこの日常のひとつになってるし、俺の予想に間違いないだろう。

「か、鏡の国からウォックがっ」

 やっぱりな。予想が当たっていた事を確信した俺は意気揚々と図書室の外へと向かう。

「じゃ、一丁遊んでやるか。もちろん千恵沙とうっくんも来るんだろ?」
「「もちろん♪」なのである。」

 満場一致。
 さて、今日はなんで勝負なのやら。TVゲーム、鬼ごっこ、かくれんぼ、影踏み、おままごとに缶けり、やったことがある物ない物いろいろあるが、まあ何でもこいだ。ウォックの目的は『世界』なんかじゃなく『遊ぶこと』だってことは分かりきっているから勝ち負けなんかは関係ない。楽しければ無問題。その為ならばルール無用。なんでもアリのバーリ・トゥード。敢えてルールを言うならば、自分も相手も赤の他人も誰も不快にさせない。それだけが唯一無理のルール。

「それをいうなら唯一無二である。」

……と、ともかくそれはウォックとの『勝負』に限らずこの『日常』を暮らす上での絶対 ルール。
 こんな『不思議な日常』が俺の日常になるなんて二週間前の日常から考えるとまさにメカなうどん粉な話だが。不思議な仲間と過ごす不思議な日常。まあ、そんなのもありっしょ。

「アリス〜、どうしたの。早く来ないと先行っちゃうよ?」
「おっ、おう。」

 図書室前の廊下。少し先で待っているうっくんと千恵沙の駆け出す俺。

「って、アリスって呼ぶなっ! 俺の名は ―― 」





 どうでしたか?
 えっ、知っているお話とだいぶ違う?
 あはははは……、まあ、いろいろとありまして。えっ、詳しく知りたいんですか?

 実はこの子を枕にして図書室で寝てる方がいたんです。いえ、図書室で寝る事は別に良いんです。
 ……寝言とか五月蠅くなければ、ですけど。
 でも、この子達を枕にされてしまうと読みたいという方が読めないですし、読んでもらえないなんてこの子達も可哀想です。だから無理やりにでも楽しんで貰おうとこの子の中に送り込んだのですが……。
 男のままアリス役にしたのがいけなかったのか、物語が少し変わってしまって。
 その上、自力で ―― 正確にはハートの女王さんのお力ですが、要するに私の力以外で ―― 戻ってきてしまわれたので本の中での出来事がリセットされなかったみたいです。
 やっぱりきちんと女の子にして送らないといけないんですね。失敗でした。
 
 でも、運命の本との出会いはその人の人生に過大な影響を与えるといいますし、この子が彼 ―― じゃなくて彼女ですね ―― の『運命の本』だったんですよ。きっと。

 私、悠久図書室・本館栞は、世界中の図書室で次回の来館を心より待っております。
 では、あなたに運命の本との出会いがありますように……


玄関へ本棚へ